広島へ④ [乗り物]
今回の広島の旅8月中に全部書いてしまおうと思っていたのに結局9月に・・・。
8月16日の続き。
広島港(宇品)電停から電車に乗って2駅、海岸通で下車。ここから猛暑の中歩きます。これから旧国鉄宇品線の廃線跡巡りをします。広島に住んでいたころ巡ったことはあったのですが、最近「宇品線92年の軌跡」という本が出たり、スカパーで放送している「ホビーの匠」で宇品線の回が放送されたりして、現在はどうなってるか気になってきてしまい、また巡ってみようと今回きたわけで。
まずは旧陸軍糧秣支廠倉庫の一部がモニュメントとなって保存されている宇品駅跡へ
周りは高速道路の用地になったりして、跡形もなくなっています。
(2006年11月当時は金網に覆われ近づくことができなかった。。)
それから線路跡に沿ってしばらく行くと、きれいな芝生の土地が現れます。
きれいに整備された芝生。線路跡がパークゴルフ場になっていました。看板には「旧国鉄宇品線跡地」と書かれています。
しばらくこのパークゴルフ場が続きます。
すると駅名票が建っていました。突然なのでびっくり。
「下丹那駅」のあった場所。きれいなのでつい最近建てられたようです。
下丹那駅は昭和18年10月に休止になったようですが・・・。
マツダ工場に掛る橋の下に、ゴルフ場の詰所などがありました。
そこから先は線路跡らしくなります。付近の町内会などで花壇が作られ整備されていたらしいですが、放置状態のような感じでした
そして丹那駅跡に到着。「宇品線92年の軌跡」に丹那駅の写真がありほぼ同じ角度と思われる位置で写真を。
(2006年11月・このあたり以前は枕木の柵も残っていましたが・・・)
丹那駅跡から少し離れたところに宇品線モニュメント。ここは以前と変わらず。
線路跡は道路になり、次に下大河駅跡にきました。ここも以前来た時と変わらず。
ここには駅名票などは見当たりませんでした。
真ん中の建物が集会場。ここに駅舎がありました。
線路跡を外れて近くにある、被爆建物である旧陸軍被服支廠の建物を見にいきました。
大きい建物で写真に撮るのも難しいですが、4棟の建物が残されています。
被服廠は軍服や軍靴などを製造していた工場。
戦後は倉庫などで活用されていたそうですが、現在は使われていないそうです。
ゆがんだ鉄扉は原爆の爆風で曲がったものだそうですが。
貴重な被爆建物で当面は取り壊す予定はないみたいですが、
再利用するにも巨額の耐震補強が必要だそうで再利用計画もまったく進んでいないらしいです。
線路跡に戻り、出汐町の国道2号線交差点。ここに宇品線の踏切があったのか・・・全くわからない風景
広大病院の横を行きます。このあたりに上大河駅があったみたいです。
この先、住んでいた段原ですが、猛暑の中歩き続けて、何となく気分が悪い・・・体調がちょっとヤバいかも・・・。
このあとカープ見に行かなきゃいけないし、ここまでで廃線跡歩きを切り上げることにしました。
中途半端ですけど、仕方なし。まあ段原の辺りは引っ越してからも何度か来て、廃線跡もちょっと見ているので、まあいいかと。
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